岩窟の入り口の一歩前。
そこに立った途端に、鼻を突く軽い臭気がする。
毒物や有害気体などについての専門知識もないから、何が原因かなんて分かりはしない。
だが、事前に聞いておいた情報によると、
たまに長時間滞在すると気分が悪くなるものもいるらしいが、さして毒性が強いものでもないという。
内部も迷路状になっていたりはせず、
比較的単純な構造をしているから、余程でなければ迷わないだろう、とのこと。
ただしそこそこ強めの魔物がいるから気をつけて――。
いくつか候補地はあったのだが、なるべく空気の汚染のないところを選んだ。
誰かについて専門的に式を学んだわけではないので、
大気中の毒素の分解除去などを行なう、広範に効果を及ぼす補助系治癒式は使えない。
そのおかげで、毒素とは違う意味で危険の少ない、別の候補地は除外せざるを得なかった。
“あそこ”の誰かについてきてもらえばそのような問題は一瞬で解決はしたのだが。
「あら、彼女への贈り物をするのに私たちが手伝うなんて、野暮、というものでしょう?」
あまり期待はせずに、その誰かのうち一人に聞いてみると、一蹴された。補助もダメらしい。
そもそも、彼女以外がついてきた瞬間、今回の探索の難易度が一気に下がってしまうし、
また、要請された彼女がついてきても、難易度が変わることにそう変わりはない。
若いうちの苦労は買ってでもせよ、など、こういうところで使える慣用句はここぞとばかりに使ってくる。
どこか、楽しんでいる風にも見受けられた。
――あぁ、そういえばこの人もあれは知ってるんだっけ。
もう数ヶ月も前になった、婚約結婚騒ぎ。
誰にこの責任があるかといえば、さっきの彼女に追及することもできるけれど、結局何百年も前の話であって。
時効、と言うことも出来ないけれど、今更責任がどうとかいう気分にはなれなくて。
この世界がカフェとつながっていた、繋がったせいか、いつの間にやら自身の存在を知られていて、
一族存亡の危機を救うため、などと称していつの間にやら婚約相手にさせられて。
しかも悪乗りしてそれを勧めようとしてくる人もいて。誰とは言わないけれど。
結局は、婚約云々の話を持ち出した族長のところへ行って、解消させた。
彼女はきっと、一連のことを事細かに知ってるに違いない。そんな場所に、位置にいる。
一応この世界と、かの世界や他の世界を繋ぐ、繋ぐことのできる立場にいる人だから、
そのときのことでも世話になったりしたのだが、やっぱりそのときも楽しそうだった。
「もう、こんなこと年に1,2回あることじゃないですか?
いちいちボクに限ってからかわなくてもいいじゃないですか」
そう文句をいうと、彼女は、そうでもないのよ、と言った。
「華々しい存在に見えるかもしれないけれど、私は、私たちはこの世界に存在し続けるべきじゃないもの。
だから、裏方に徹しないと。私たちは、だから、ここに集ってる。
私とラピスがいて、それから何百年かしてルウとシロナと、ウィゼルがこの位置に。
もしかしたらそのうち、ミトラとアトラもここにいるのかもね。……なるべく、そうならないようにしたいけれど」
だから、こんなに間近に、面白いことを見ることがなくって、と続けた。
その言葉には、面白くないです、といつもどおり、返しておいた。
今回も、カフェを通ってこちらに来て聞いてみたら、同じような感じで弄られた。
「なるほどね、本命の彼女が出来たから、プレゼントを」
「ちょっと、何でそうなるんですか、別に本命だとか彼女だとか、そーいうのじゃなくて!」
くすくすと、彼女は笑った。
精神年齢は、過ごした年月は肉体年齢など遥かに超えているだろうに、本当に、おかしそうに。
「まぁ、貴方の気持ちだから、別にそれは構わないけれど。
あぁ、ごめんなさい、笑ってしまって。本当に久しぶりなのよ。こういうのを見るのは。
……私が、生きていた時以来、かも知れないわね」
最後の言葉は小さく紡がれた。
聞き取れはしたけど、意味は良く分からなかった。
小さな言葉にたくさんの意味を込められるくらいに、この人は生きてきたんだろうな、とふと思ったりした。
その直後、追いやられた。
「さて、善は急げというし、あまり遅くならないうちにいってらっしゃい。
宝石細工師は腕のいいのを知ってるから、そっちに頼んでおくわ。
一日あれば十分なのはできるだろうから、ある程度時間はだいじょうぶ。
まぁ、倒れたりはしないようにね、……したら彼女に報告してあげようかしら?」
その冗句には、しなくていいです、と言って、直後、彼女という言葉を否定して、そして。
さして複雑な道程でもなかったので、貰った地図を頼りにすれば、迷うこともなかった。
街道にいくらか魔物も出たが、そう梃子摺らされるものでもなく、入り口に着き。
せつなは、岩窟に一歩目を踏み出した。
▼追記の開閉
「……そんなに毒素はないって言ってたけど」
結構きつい、と小さくぼやく。
「そっか、そんなに空気の悪いところで生活してたわけじゃないから……」
綺麗な川に住んでいる魚には、都会の汚れた川でも毒になる、そのような感じで。
同様に、毒素を持った空気の洞窟にしばしば入るような人にとってはたいした事は無くても、
このような場所に初めて入るせつなには、無視して通ることのできないもの。
「……あんまり悠長にしてられない、よね、この調子だと」
呟きながら、右手に、岩窟に入る前に拾っておいた木切れを持つ。
同時に左掌に紋様を展開、辺りにある酸素を集束。
それが紋様の中心部分を構成する属性式に取り込まれ、燃焼を生じさせ、炎の属性のエネルギーと化させる。
刹那の間もないその所作ののち、紋様は中心から外部へと向かって、その模様を辿るように、紅に輝いていく。
紅の輝きが紋様を満たした直後、せつなの掌の紋様の前に拳大の火の弾が浮かび上がる。
紋様はそのまま形を、色を存え続け、それと同様に、火の玉もその光を、熱を放ち続けた。
炎の弾を作り出す式、ファイアショット<炎弾式>、通常であれば炎で形作られた弾を発生させ放つものだが、
暗い洞穴の中であるために、せつなは大きめの珠とし、照明として用いた。
掌の上に揺れながらある火の珠を前にし、視界を広げながら、せつなは奥へと駆けていった。
進むこと十数分、ある程度奥まで進んだが、敵らしい敵も居ない。
たまに遠くから吼え声のようなものも聞こえたが、狼や犬の魔物などに会う事は無く、
隠れてしまっているのか、と思うほどの気配のなさだった。
少し疑問に思いつつも、せつなは先へと進んでいく。
確かに、前情報ではいつもはそんなに危険でもない、とは言っていたが、此処まで何も無いと逆に不安になる。
「なんか、逆に怖いくらい静か……、まぁ、運がいい、のかなぁ」
それでも、行き止まりにあたることも無く、順調に、洞窟の奥へと向かっていく。
気になっていた空気の毒素も、奥に行くほど強くなる、ようなものでもないようで、
せつなはさらに歩む速度を速める。
その様子を、洞窟の脇の小さな穴から、何かに少し脅えるようにして、小動物型の魔物が見ていた。
同時刻。
森の中にある木の家。その一室のドアが音を立てた。
「あら、お帰り、シロナ。今日はどこに行っていたの?」
室内に居た、せつなに岩窟の案内をした女性が、ドアを向き、声をかける。
「ブレダ。変わりなかった」
少々ぎこちない口調の二つの単語で、返された。
シロナ、と呼ばれたものは、すん、と鼻を動かす。
「昼、アルマの他に誰かいた? クート族の匂い、……昔の方の。……彼?」
ええ、と、アルマはその問いに頷いて応える。
「流石ね。」
「これくらい、当然」
流れるように美しく、白い毛並み。
その体毛に覆われて隠されているものの、強靭な四肢。
紛れもない、狼の姿がそこにあった。
シロナは返答すると、腰を降ろした。
「彼はもう帰った?」
「いいえ、ちょっと探したいものがあるらしくて、ヴュルツの方に。
ユーディアライトを探しにね?」
シロナは少し考えるようにしてから、口を開いた。
「ヴュルツ、ユーディアライト、……あの岩窟?
満月の夜、あそこ…………」
「大丈夫よ、今日はまだ23日で満月じゃないから、ブラッディウルフがあそこに集まる日じゃないはず。
まぁ、一匹二匹はうろついているかもしれないけれど、他は、竜が近くに居るから出てこられない、そう強くない魔物が多いし」
その言葉に、シロナは首を横に振った。
不安そうな面持ちで、前にいるアルマを見上げる。
「違うよ、ブラッディウルフは満月の夜にあつまる、けど。
……あれ、彼等の儀式、……食べるもの集めるのに、前日にはあそこで準備……」
そこで、会話が途切れた。
一人と一匹が、互いに目を合わせる。
不安を孕んだ空気が広がっていた。
「……流石、ね。……良く知ってる……」
「これくらい、当然。……じゃなくて」
「……まずいわね、対集団戦闘なんてしたことないと思うけれど」
「ここからだと、どんなに急いでも夜になる。……誰か、向こう、いない? ……ルウは、たぶんシルフィーア方面」
シロナの言葉に、小さな舌打ちが聞こえる。
「……ラピスはたぶん今はアクィレイアの方に行っているわよね……となると、ウィゼルが最後の望みね」
「ラピスが出かけているなら、きっと、ウィゼルはヴュルツにいる。……きっと、異変には気付いてくれる、と思う」
「気付いてくれないと、あの子が明日にはブラッディウルフのお腹の中に入ってるわよ……、うっかりしていたわ、本当に
狼の集団に見つかって、即座にやられたりしたら一貫の終わりだけど、……なんとかもってくれることを祈るしかないか」
「きっと、だいじょうぶ。……いろいろな意味でだいじょうぶじゃない、けど」
シロナが言う。後半の言葉は、小さく呟くに止めたが。
しかしその言葉もしっかり聞きとめていたアルマが、シロナに、言葉の意味を問いかける。
シロナは答えにくそうに、小さく鳴いていた。
「あれ、行き止まり、かな……、もうそろそろ、一番奥だと思うけど」
以後も、特に敵とも遭遇することなく進み続け、少し開けたところに出た。
火の明りで、薄暗いながらも前方にも、側方にも壁があることが分かった。
前方の壁に、近づいていくと、火の光に反射した、紅い煌きが目に入る。
「ぁ、もしかして」
せつなの、特徴ともいえる猫耳がぴくり、と跳ねるように動く。
壁のところに、大きめの、赤紫の色をした岩がたくさん転がっていた。
その中に、とても綺麗な、透き通った赤紫を多分に含んだ物を見つける。
せつなは、両手で、その鉱石を拾い上げた。
「これなら良さそうかな……、綺麗だし、量もそこそこあるだろうし、――!?」
そこで、せつなはバッと、後ろを振り返った。
同時に、耳が震える。
洞窟を歩いている途中に聞こえた、狼のような声が、いくつか。
それが、今度はあまり遠くないところで聞こえた。
そして、その声の反響も。つまり、洞窟内にいる確率が高い。しかも複数で
今いる小部屋の中にはいないが、ここまでほとんど迷うようなところもなかったので、
このまま引き返せば鉢合わせる可能性が非常に高い。
せつなは小さく深呼吸した。
此処まで一度も戦闘などなかったのだから、今までの運が良すぎたのだ。
このような状況になった以上、戦いが生じる覚悟はしておかなければならない。
「複数いるんだから、やっぱり、細い通路で戦ったほうがいい、よね」
そう呟いて、せつなは鉱石を持って小部屋から道へと戻る。
こちらは一人なのだから、囲まれる愚は避ける。
相手がどのような強さか分からないから、自分自身を不利に追い込むような真似はできない。
一対一ずつであれば、なんとか、対処はできるはず、そう思っての行動だったが、些か遅すぎた。
道へと入ろうとした瞬間、暗闇に、緋の光が輝き、そして、せつなに突進をしかけてきた。
反射的に避けようと、横へ転がるように跳ぶ。
突進してくる相手の方へ動いて、すなわち通路へ杯って避ける、という選択肢が思い浮かばなかったのが、ミスだった。
相手の一撃目を避けたせつなは、すぐに立ち上がり、鉱石は置いておいて、両掌に紋様を展開する。
そして小さく、舌打ちをした。
二、三匹くらいか、と甘く見ていた。
黒々とした体毛に包まれ、血のように紅い目をした狼たちは、次々にせつなのいる小部屋の中に集まってきた。
薄暗い小部屋の中にたくさんの紅い瞳が浮かび上がった。
数匹かと思っていたら、瞳の数からして、十匹、十数匹はいる。
唸り声の多重唱。
呼吸が震える。
猫の耳はピンとたち、尾は震えながらも、逆立つ。
体の反応は正直だった。
おそらく、初めての体験。
いつだったか、喫茶店の仲間を助けに、敵地に赴いたこともあったが、その時は仲間が何人もいた。
仲間と助け合って、なんとか、カフェへと戻れた。
しかし、今は一人。
狂気に光る瞳に、射抜かれて、それだけでやられてしまいそうな感覚が身を襲う。
脚が震えそうになるのも分かる。
呼吸の速度を遅め、なんとか、息を整えようとする。
このような洞窟の中である以上、比較的使用頻度の高い水属性の式を使う事は難しい。
それでも、何とか切り抜ける方法を探す。
明日には何が何でも、あそこに行かなければならないから。
彼女に、自分にプレゼントを編んでくれている人に、お返しをしたいから。
表面上では知らないフリを装ってはいるけど、知ってる。
隠して、驚かせようとしているのが、可愛らしいし、そして嬉しい。
だから。
思っていると、一匹がせつなに跳びかかり、その牙を喉笛に突き立てようとして来る。
せつなは展開していた明緑の式を発動させ、風の弾を一瞬のうちに精製、空中の狼にぶつけ、吹き飛ばす。
狼の体が弾かれ、元いたところよりも後ろに倒れた。
それが合図となった。
十数匹の狼たちが、せつなへと向かっていった。
陽が次第に、赤みを帯びていく。
切り立った崖の先端でその光に、緑の色をした皮膚の竜が背を照らされていた。
「……おかしいな」
竜は、左側、北の方向に広がっている森を見る。
「明日は満月だから、ブラッディウルフがいろいろ動き回ってるはずなのに。森に気配が無いなぁ。
洞窟に、誰かが入って、そっちに行っちゃったのかな。……あれ、でも」
ううん、と竜は小さく首を傾げる。
「誰だろう。あそこを知ってる人は、今日明日はあそこは危ないって知ってる。
だけど、あそこを知ってるのは俺たちだけ……、……どんなに力があるのでも、早々に見つけられるところじゃないのに」
竜は、ばさり、と翼を動かした。
辺りに力強い音が響き、空気がかき回される。
「誰かの知り合いが、入っちゃったのかな。……一応見に行こうか、
夜になるまではたぶん殺されはしないだろうけど、危なそうなら助けないと」
竜の長いめの体躯が浮き上がり、そして、空を駆けた。
しばらく北へ進み、森の中へと入っていく。
飛びながら彼は呟いた。
「……あいつら見た目そのまま、苛虐な奴らだからなぁ……、集団であそこに行ったんだったらまだしも、
もし一人二人だったら、生かしておいて、集団で、喰う時間になるまで虐め抜くって聞くし。ルウとかみたいに強かった、兎も角。
……うん、まぁ、間の悪い時に入っちゃったんだから、お相子かな」
などと、他人事のように呟きながら、せつなが入っていった岩窟の前に、降り立つ。
辺りの気配のなさから、やっぱり中かな、と確認するように呟いて、竜は洞窟の中へと入っていった。
「痛っ……、はぁっ……!」
ぽたぽたと、爪に軽く裂かれた左腕から、血が滴る。
服はいたるところに破れ目が出来て、そこには紅いものが付着していた。
傷も相当ながら、せつなの顔は疲労の色も濃かった。
一気に跳びかかってきた狼たちを、展開しておいた式で一掃しようと試みた。
最初に跳びかかってきた一匹を弾き飛ばした後、すぐに、両掌にそれぞれひとつ、紋様を展開。
それぞれ、低位式と、中位式。紋様はすぐに明緑の色彩を帯びる。
それと同時に、狼たちの爪がせつなに近づいてくる。
せつなは左掌を前に出して狼たちに向け、右手をそこに重ねる。
二つの紋様が合わさり、複雑な一つの式が生じる、それと同時に、風属性上位式<エア・カーレント>を発動。
せつなの目の前の空気が渦を巻き、竜巻を形成、空中にいた狼たちの身体を、吹き飛ばし、壁に激突させる。
二匹ほどが、竜巻の中を飛び交う風の刃に身体を刻まれ、血飛沫を上げ、地面に落ちた。
竜巻を前に、そして、倒れた仲間を見て、狼たちがせつなを取り囲むように陣形を組む。
適当に遊んで仕留められるほど簡単にはいかない、と見たらしい。
せつなも、一定の距離を保てるように、狼たちの動きを見、じりじりと動く。
そこからは、防戦一方になった。
跳びかかってくる相手に、
短距離の中位式のオルケード<風衝式>やグラウンドレーディアス<地渦式>などで迎撃しようとするも、
背後から、僅かに時間差をつけて、跳びかかってくる。
対物理防御式<プグナクルス>で物質に対する壁を形成し、狼の牙を、爪を受け止めるも、それも前方に対する防御。
後方や側面からの攻撃は防げない。
そこを突いて、ブラッディウルフの群れは攻撃を仕掛ける。
攻撃式を使って迎撃をするも、そうすると、使用しているのは防御式よりも反動の強い攻撃式なので、隙が生まれる。
そこに攻撃を加えられると、防御が遅れ、傷を負わされる。
反動の少ない式もある事はあるが、
最初の一匹に使ったウインドショット<風弾式>ではダメージも弱く、相手の動きを止められるか分からないし、
刃を飛ばすブレイズシアー<焔刃式>は、威力もあり、大きな傷を負わせて動きを少しは止められるだろうが、
直線を飛ばすだけの式であるために、素早い相手に当てられるかが難しい。
防御に全力を注げば、無傷で耐えられることはできるが、それではじりじりとこちらの消耗を増やしていくだけになる。
相手のブラッディウルフは、何度も何度も防がれるのにも関わらず、同じようにちまちまと攻撃してくる。
せつなは繰り返される行動に、下唇を噛んだ。
手を抜かれているわけではないにしろ、遊ばれている。
むこうとて、下手に攻撃を仕掛ければやられることはわかっている。
それゆえに、さっきのエア・カーレントのような規模の大きな式を展開、発動させる隙を与えずに攻撃していくのが安全な策、と考えている。
その策は見事に嵌まり、せつなの体力は徐々に削られていく。
しかし、この状況を打開するような式を、しかも次々に来る攻撃の波の中で放つのは、せつなには出来なかった。
多少でも隙を見せれば、一気に仕掛けられ、終わるだろう。
そのような状況で、環境までもがせつなの敵に回った。
もう何度目か分からなくなった攻撃を<プグナクルス>で防いだ直後、目眩がした。
そのせいで背後からの攻撃を防げずに、爪で背を裂かれた。
膝が地につき、片手で体を支えて痛みを堪えながら、オルケート<風衝式>を放
つも、
背を裂いた狼はせつなのそばを離れていて、放たれた衝撃波は、空気の中に散っ
た。
「痛っ……はぁっ……!」
痛みに、声が漏れた。
身体を支えている腕が、力を失ってきているのか、小さく震える。
思考にも少し靄がかかってきた。
洞窟の中の毒素が溜まって、身体にも影響をし始めて来ていたのだ。
落ち着こうと呼吸し、顔をあげると、じりじりと、ブラッディウルフの群れが包囲の輪を狭めるのが見えた。
せつなが顔をあげると、ブラッディウルフも歩みを止めた。
互いに手が止まり、無言が場を包む。
やがて、群れの首領らしき一匹が問うた。
「おい、ガキ、……何と言う?」
急に質問が来て、せつなは少し不思議そうにそのブラッディウルフを見る。
疲労などからすぐに立ち上がることは出来なかったので、足を地面に崩した体勢で答える。
「……、せつな。なんで……?」
ふん、と、狼は鼻を鳴らす。
「俺はガルド、という。血狼を率いているが……、理由?
たいした理由ではないさ」
ガルドの目が狂気の光を帯びる。彼の口周りを、その赤い舌が嘗め、そして笑った。
その様子は、せつなの恐怖の表情を引き出すには十分だった。
真っすぐに、ガルドの視線を迎え撃つことが出来ず、呼吸も次第に速くなってくる。
「これから俺達のお楽しみの玩具になって、明日には喰われる運命の、
可哀相な可哀相なクート族の子猫ちゃんの名前ぐらい、聞いておいて、忘れてやってもいいんじゃないかってな。
ギャハハハハハッ!」
「っ…………!」
狂喜を孕んだ目で、せつなを見下しているガルドに、他のブラッディウルフも笑いだした。
せつなは少し顔を伏せながらも、なんとか、ガルドを睨もうとしていた。
それと同時に、地面で体を支えていた手で、紋様を展開していた。
「……しっかし、クート族のニオイだが、なんか違うな。
尻尾が猫のじゃねぇが、てめぇは……――何してやがる?」
「ぁ、ぐぅっ……!」
せつなの様子に、ガルドが一瞬で距離を詰め、せつなの腹を蹴り、押し倒した。
そして、せつなの喉元に舌を這わせた。
生暖かい気持ち悪さをせつなは感じた。
「忘れるな、お前みたいな子猫程度、今なら一瞬で喰らえる。
少しでも長く生きたかったら、大人しくして――っ!?」
ガルドがせつなの上から跳ぶ。直後、ガルドのいたところで爆発が起き、爆風が
他の狼達を襲う。
「火属性上位式<バックドラフト>……、さっきのてめぇが瞬時に発動できるよ
うな式じゃあねぇぜ……?」
地面に降りたガルドが、少し、いや驚愕の表情でせつなを見る。
せつなが苦しげに起き上がる。
ガルドが跳んだせいで、爪が引っ掛かり、腹のあたりの服にも血が滲んでいた。
「余裕を、見せたのが、運の尽き、かなぁ……?」
とぎれとぎれにいい、片手でお腹を押さえながら、膝に手をついて身体を支え、なんとか立ち上がる。
「運の尽きとは言ってくれるな、子猫ちゃんがよぉ?」
ざり、とガルドが四肢に込める力を強める。
せつなは詰められる前に、次の式を展開した。
片方の掌にも関わらず、3つ、同時に紋様が展開される。
その展開の様子に、ガルドが目を細める。
おそらく次に発動する式は察知されていることだろう。
しかし、止めるわけにも行かない。
3つの式が重なり合い、単体のそれぞれの式の構成式が組み合わされる。
組み合わされてできた新たな式が、明緑に輝いた。
ブラッディウルフの群れとせつなの間で空気の流れが渦を巻き始める。
先ほどより巨大な<エア・カーレント>が放たれていた。
太い竜巻がブラッディウルフに向かっていく。
竜巻の中では、風の凶刃が獲物を待ち構えていた。
「ちぃっ……、通路に退け!」
狼たちが通路に後退していく。
その様子を見て、空いている左掌に、次の式を展開した。
相手を貫くペントレイト<条式>を二つ展開し、基礎に、
渦や円範囲への放射を行うレーディアス<渦式>を補助として展開し、組み合わせる。
白い、光の輝きが、組み合わされた紋様を満たす。
やや消えかかっている竜巻の先の通路の方へ、紋様を向け、発動。
同時に、通路の方から咆哮がした。
「突入しろ! ここにかたまると串刺しになるぞ!」
紋様の前に、光が収束。
暗闇であるここであっても、酸素があるから炎は作り出せる。
そこから生じる光と熱をエネルギーとして。
「グランス・ペントレイト<光条式>!」
掌よりも広いくらいの、一条の光が放たれる。
ブラッディウルフの集まっている通路へと。
それにわずかに遅れて、血狼が動く。
しかし、先頭にいた一匹を光が貫くと、光は留まるところを知らずに闇の通路を突き進む。
狼達の鳴き声が洞窟に響いた。
しかし、貫かれた狼たちの背を踏んで、光の槍を避け、せつなのところへ向かう影が、紅い瞳があった。
その数は五つ。
防御式を展開しようとするも、紅の光の速度には敵わなかった。
「っあ……、ぐ、ぅっ……!」
戦闘を駆けていた血狼が跳躍、一瞬の後に牙が左肩に食い込み、次の瞬間には、背中が壁に打ち付けられた。
さらに、右腕に、腹に、体当たりの追い撃ちを受ける。
「…………っ」
呼吸が出来ず、肺から息が搾り出される。
身体を支える力を失って、せつなの身体が前に、俯せに倒れる。
せつなの左肩に牙を突き立てていた狼がせつなの身体を引きずり、ガルドの前に放り出す。
小さく呻いたせつなの前に、ガルドが一歩脚を進めた。
せつなが前に来たガルドをわずかに見上げると、突如左肩に痛みが襲った。
「う、ぁ……っ!」
牙を突き立てられ紅く染まっていた左肩を、ガルドが踏み付けていた。
完全に確定された形勢に、ガルドは嫌な笑みを浮かべる。
「惜しかったな、通路に押し込んで一気に貫こうっていう作戦はよかったがなぁ、
……子猫ちゃん風情の弱々しい力じゃ無理ってこった、ギャハハハッ!」
ガルドの言葉に、せつなは睨むように彼を見上げた。
そして同時に、右の腕で式を展開しようとする。
「バァカ、させねぇよ」
せつなの右手首に、強い痛みが生じる。
背後にいたブラッディウルフの一匹が、せつなの手首に噛み付いていた。
五匹の血狼に囲まれ、左腕は肩口を、右腕は手首を牙で捕らえられて。
いつ殺されてもおかしくはない状況だった。
「なるほどなぁ、さっきの式を見る限り、お前は、もうほとんどいない始祖のクート族か。
話にしか聞いた事はなかったが、式を同時に展開させる多重展開式、うぜぇったらありゃしねぇ、けど」
ガルドがまた、ぎゃは、と不快な笑い声を出す。
そしてせつなを見下ろした。
「こうなっちまえば、可愛らしいただの仔猫ちゃんってわけだ、なぁ?」
「っ…………!」
せつなが、唇を噛み締め、声にならない声を出す。
だが、この状況を覆す方法など、今のせつなの力量で思いつけるはずがなかった。
「しっかしまぁ、たった一匹の仔猫が此処にいる奴の半分以上消し去ってくれるなんて予想外だったな。
こいつの落とし前はきっちりつけてもらわないと――明日の夜、喰われちまう前に」
一度、通路の方を見たガルドが、再びせつなを見下ろし、にぃ、と顔を歪めて笑った。
そんなガルドを、せつなは強く見返した。
ここで諦めてしまえる、はずがなかった。帰らなくちゃいけないのに。
「そこで折れないとこは、なんつか、可愛げがあるよなぁ。
そのうち、他の奴等が戻ってくるだろうし、そこからお前は喰われるまで、俺らの玩具の仔猫っつーわけだ、ギャハハハハハッ――」
笑声と同時に。
場にそぐわない、間の抜けた声がした。
「ぁ、ごめん。外にいた奴ら、向かってきたから、俺が全員のしちゃった。」
細い首が、部屋の中に、影として現れる。
全員が、それを見た。
すぐあとに、本体が入ってくる。
正体は、若い緑色の竜。
若いどころか、まだ成竜にもなっていないかのような体躯だった。
しかし、それを見た途端、ガルドの表情が変わった。
「……お前――」
「あぁ、誰かと思ったら、君だったんだ。クート族の迷い子の……なんだっけ、せつな?」
竜は、ガルドのことなど気にせずに、せつなを見て言った。
せつなは疲労に、傷に、ゆっくりと頭を上げ、竜を見た。
こちらに来た時に見た覚えがあるが、おぼろげな頭では思い出せない。
しかし、彼の問いは耳に入っていたため、首肯した。
「だよね、良かった。まだ生きてるし、大して酷いこともされてないみたいだし」
そうせつなに言ってから、竜はガルドを見た。
視線を向けられたガルドは、先ほどの勢いを失って、竜を見上げていた。
「……、……っ」
「……久しぶり、になるね。またヒトに手を出そうとしてたんだ。
でも今回は、ちょっと、手をかけようとした相手が悪かったね」
にこり、として竜は続けた。
「縄張りに、しかも満月の近くにこの子が入っちゃったのに怒ってるのはわかるけど。
最後の方聞いてたけど、前みたいに、死ぬより嫌な目に合わせようとするのは、どうかなぁって思うよ?」
「しかし、こいつは仲間を消し――」
「順序が逆じゃない?」
ガルドの言いかけた言葉を全て聞く前に、竜は一蹴した。
竜の双眸が、ガルドに向けられる。
その視線は、冷ややかで。
「仲間を消したから襲うんじゃなくて、――この子を襲おうとしたから、消されたんでしょ?」
舌打ち、次いで歯が軋む音が聞こえる。
久々の、しかも子供という手ごろな獲物を捕えたと思ったら、竜が出てきた。
しかも、ただの竜じゃない。
それは、前々から身を持って知っている。
「じゃあ、簡潔に言おう。……その子、渡して欲しいんだ」
竜の瞳がせつなに向けられる。
竜の言葉に、せつなの腕を捉えていたブラッディウルフがむずかり、竜を睨む。
そのせいかせつなの肩や手首に立てられていた牙が動き、痛みに、せつなが小さく呻く。
他の血狼たちも、手に入った玩具を渡したくはないようで、せつなの前に立ち、竜を威嚇する。
「ええと、……やっぱり言うだけじゃダメ?」
困ったな、とでも言いたげに、竜は頬を掻く。
「できれば君たちにも怪我してもらいたくはないんだけど」
「そいつらにはできねぇ相談、みたいだな」
言って、ガルドはせつなの方に歩み寄る。
そして、脚を上げ、背の裂かれた傷を踏みつけた。
「痛……っ!?」
せつなが小さく叫んだ。
その様子に嗤いながら、ガルドは竜を見た。
「とりあえず生かしては返す、じゃあダメか?
せめてそれくらい好きにさせて貰わないと、こいつらの収まりがつかないみたいなんだが?」
竜は、にこりとして、拒否の意を示した。
「そんなのもちろん却下だよ。
小さなウサギを渡して、苛虐趣味な君たちにそんな条件つけさせたら、どうなるかなんて目に見えてるでしょ。
君たちがやるっていう遊び、限度ってものを考えてないみたいだし。」
ガルドは竜の言葉を聞きながら、せつなの背を踏みつけていた脚をうなじの辺りにもっていった。
「だが。……お前の口ぶりからしたら、殺されたら困るんだろう?
この状況は分かっているだろう、やろうと思えば、この仔猫ちゃんくらい今すぐ殺せるんだがなぁ?」
竜が顔を顰める。
相手も実力的不利はわかっているらしいが、状況的には竜が不利。
竜としても、せつなを殺されるとあとで問題が生じてくるらしい。
小さく、竜は舌打ちした。
「じゃあ、俺に何かしろっていうの?」
「いいや、別にあんたは何もしなくていいのさ。
俺たちがさっき捕まえた、玩具の仔猫ちゃんで遊ばせてくれれば、それで何も?」
ガルドの言葉に、竜は溜息をついた。
分かった、と小さく零す。
「また明日の昼過ぎにでも、外へ出しておいてやるさ。
どんな状況で返されるかは、可愛い仔猫ちゃんの従順さ、次第だけどなぁ?」
ガルドはせつなの背に乗り、うなじを押さえつけたまま、せつなの耳元で、嗤いとともに呟いた。
身動きの取れないせつなは、ただ唇を噛んで、背を乗っているガルドをにらみつけた。
そこで、竜は言った。
「違うよ」
その言葉に、ガルドは、他の狼は、竜を見た。
さっきまで暢気そうにしていた竜の双眸が、鋭く感じられる。
「何がだ?」
「分かったっていうのは、これ以上君たちと話しても無駄、って言うこと。
実力行使はできればしたくなかったんだけど……、ひどいことになる前に返してもらわないと」
竜の言葉に、ガルドはせつなの首に爪をかけようとして、気付いた。
爪がせつなの皮膚に触れる前に、何かに防がれた。
透明で、硬質な、壁。
防御式の<プグナクルス>が、せつなの身体に限定的に用いられていた。
「てめぇっ……!?」
「おしゃべりもほどほどにね、前にも言ったけれど」
言葉を言い終わるかいい終わらないかのうちに、竜の前に展開されていた式が発動、
せつなの真上、ガルドのいる辺りを中心に、爆風に近い突風が生じ、
その近くに居た五匹全員のブラッディウルフの体が、吹き飛ばされる。
風属性上位式<ダウンバースト>、風のエネルギーを集束して地面に衝突させ、大きな衝撃波を生じさせる式。
それと同時に、対属性防御式<プリザヴェート>を発動させて、せつなの身を防御する。
さらに竜は、その周囲に三つの式を展開し、発動可能の状態になっていた。その式全てが、上位式。
そうしてブラッディウルフたちに威嚇をしてから、竜はせつなに近づいた。
捕えられていた肩や腕が自由になって、痛みに小さく声をあげながら、せつなは起き上がり、竜を見上げた。
同時に、畏怖した。
自身は、種族特有の式の補助があってようやく式の同時展開ができていたのに、
この竜は、自力で、しかも三つ同時に上位式を展開していた。
せつなの様子を見て、竜は少し極り悪そうに、頬を掻いた。
「……ええと、そんな怖がってるような顔しないでよ。助けてあげたんだから、さ?」
せつなが黙って頷くと、せつなを立たせようと、竜がその脚を出してくる。
脚をとって、せつなは立ち上がる。
その様子を見て、竜は、だいじょぶそうだね、と微笑んだ。
「……ウィゼル、ガード……っ!」
呻くような声に竜が振り向くと、先ほど吹き飛ばされたガルドが食い殺しに掛かりそうな目で、竜を見ていた。
「何故邪魔をする……、お前と、この猫は、直接に何の関係も……」
搾り出すようなガルドの声に、竜、ウィゼルは答えた。
「間接にだけど、関係はあるんだ
……それにね、ここは俺に、――僕たちにとって、重要な場所のひとつなんだ。
だからと言ってここを奪うつもりはないけれど、血とかそういうので汚して欲しくはないんだ、なるべく。」
ウィゼルの言葉に、ガルドは舌打ちする。
しばらくガルドはウィゼルを睨みつけていたが、しばらくして、他の四匹の狼を連れて、外へと向かっていった。
「ふぅ、良かったよかった。……にしても、ブラッディウルフの群れに良く頑張ったよ。
普通の冒険者たちでも、下手すればやられちゃうこともあるらしいのに、式使い一人で。
様子が変だったから来てみたけど、誰かの死体とご対面、なんて嫌だしね」
ガルドが退いていくのを見てから、ウィゼルはせつなに言う。
背を裂かれ、腕や肩にも牙を突き立てられて怪我をしたせつなは、喋る気力も無く、ただ、頷いた。
「なんで此処にいるのかとかは、またあとで聞かせてもらうよ。
とりあえず、アルマたちのところへ行こうか。結構酷い怪我だし、上手な人に治してもらわないとね」
言って、ウィゼルは通路へと歩いていく。
せつなは少し、ぼうっとしていたものの、本来の目的を思い出して、見つけたユーディアライトの鉱石を拾うと、
ウィゼルのあとを追っていった。
「それってつまり、アルマが今回の原因じゃないの?」
竜と白狼、クート族と普通のヒトがテーブルを囲んでいた。
ウィゼルが言ってアルマを見た。
「端的に言えばそうなるわね……、まぁでも、無事でよかったわ」
言いながら、アルマは、シロナと一緒に治癒式を発動させ、せつなの怪我を治していく。
一瞬で完全に傷を治す事は出来ないものの、止血や、ある程度の損傷の回復が行なわれ、
少し回復した場所に包帯を巻いていった。
噛まれていた肩と腕、そして裂かれた背は、ある程度治るのに一日二日はかかるらしい。
「それにしても、ボロボロ、だったね。怪我もだけど、衣服も酷い。でも、それだけですんで良かったかも」
治癒式を発動させながら、シロナが言う。
「それでちゃんと、採れた?」
「……ここに」
言って、せつなは洞窟で採ってきたユーディアライトをテーブルの上においた。
それを見て、アルマが頷く。
「なかなか良さそうね。あとで細工師の方に渡しておくわ。
ちょっと遅くなったから、完成は夜になっても大丈夫?」
「はい、多分……っ。」
傷が少し疼いたか、せつなが小さく声をあげた。
その様子に、ウィゼルが笑う。
「大丈夫? そんな状態で彼女とあったら、驚かれるんじゃないの?」
「ぇ、ぁ、ちょっと、まだ彼女っていうわけじゃ……」
ウィゼルの言葉に、反論するせつな。
顔が赤くなっていた。
その様子に、アルマも、シロナも笑った。
「そんな風だと、彼女、盗られるかも」
「もうすこしちゃんとしたほうがいいわよ、彼女を盗られないように、ね?」
「盗られるって。その……」
せつなが下を向く。その様子に、他の一人と二匹はくすくすと笑っていた。
翌日の夜。
暗くなった森の中は少し寒く、霧がかったものが出ていた。
そして、霧の濃いところに、”あの場所”への出入り口がある。
「それじゃあ、頑張りなさいね。ちょうどいい日なんだから、ものにしちゃいなさい?」
言って、アルマはせつなに木箱を渡す。中には、昨日のユーディアライトを使ったペンダントが入っている。
「ものに、って、別にそんな……」
もごもごと、口を濁すせつな。そんな様子のせつなに、アルマはもう一つ箱を渡した。
「……これは?」
「私からのプレゼントよ。ラピスラズリのペンダント。
ちょうど色も対になるし、ちょうどいいんじゃないかしら?」
アルマの言葉に、せつなは箱を開け、ペンダントを取り出す。
夜に溶け込んでしまいそうな群青色の宝石。
せつなはそれを、早速つけた。
「じゃあ、遅れないように、行ってらっしゃい」
「うん、玉砕しちゃわないようにねー?」
シロナとウィゼルが言う。
ウィゼルの言葉にせつなはウィゼルを見返すも、あまり意味は無さそうだった。
「それじゃあ、行って来ます」
そう言うと、せつなは霧の中へと進んでいく。
世界が集まる、彼の世界へ。
せつなの姿が見えなくなった後、ウィゼルはアルマに尋ねた。
「ねぇ、なんでラピスラズリなの? 色は対になるのは分かるけど、さ。他にも、色々あるのに」
「……あの二つは、私たちにとっては、ある意味で始まりのようなもの、なのよね。
ラピスラズリとユーディアライト。……あの二匹は、本当にいい兄弟だったから。
互いを思い合えるように、ね。」
今度は、シロナがアルマを見上げた。
「……あとは、好きならはっきり、好き、と言えって意味?」
「あら、シロナは石のラピスラズリの意味を知ってた?
あれ、真実をあらわすって言われてて、そこから本当のことを言えるようになる、……あとはシロナの言うとおり」
「アルマって、意外と黒いよね」
アルマの言葉に、ウィゼルがぼやく。
「そうかしら、後押ししてるつもりだったんだけど。」
「……でも、たぶん、しばらくは無理、だと思う、な」
霧の先を見て、シロナが呟いた。
そのとき、蹄の音が聞こえた。
アルマたちのいるところに近づいてくる。
その音に、シロナが近づいていく。
「おかえり、ルウ」
「うん、ただいまー……、
ぁ、アルマ、大陸ほとんど見回ったけど、やっぱりいない。もしかするとこっちの方にいるのかも」
音の正体は、若いユニコーン。
蒼い鬣に、蒼い瞳。白い体躯が、夜の闇に薄く輝いていた。
「そうなるわね……、ありがとう、ルウ。また明日からでもこの辺りを探しましょう」
「どうしたの?」
アルマとルウの会話に、ウィゼルが首を傾げた。
アルマがウィゼルを見て、言う。
「今度は女の子探しよ、ウィゼル。ブラッディウルフよりよほど厄介な、ね。
被害も結構認知されているから、追い回している奴等もいて、それより先に見つけないと」
「ヴュルツじゃあそんな噂はあんまり立ってないけど……、どんな子?」
「瞳で相手を仕留める女の子。冗談ではなく、ね。……魔物の血が入っている女の子」
アルマが答える。
そして、溜息をついた。
「世界を見てみたいのに、それで世界を壊しかねない、可哀想な子よ」
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